避難者の声

福島県須賀川市
須賀川市は津波の被害は無かったものの、震度6強という地震により甚大な被害を受けました。 建物は崩れ、歩道は波打つように1mも隆起している所もありました。 娘の入学した小学校は全壊。家の窓ガラスは割れ、家の中は足の踏み場もありません。同じ市内でも被害の差はあったようですが、停電(11日夜には復旧)と断水が1週間以上続きました。 いつでも外に逃げ出せるよう洋服を着て布団に入り、しばらくは眠れない夜が続きました。全壊した娘の小学校は、他の小学校の空き教室を借りての新学期となりました。余震も続く中、壊れた建物や通学路を歩く子供達。 さらには原子力発電所の事故による放射能の影響、という不安な日々を送っていました、昨年の7月から母子避難をしております。

 

 


福島県いわき市四倉町
私の家は海まで500mの所にあり、防風林を抜けるとすぐに、海が見えます。町は福島第一原発から32㎞の所にあり政府の避難指示が出た時は人が住む最端の町でした。震災の時は、津波を心配し、真っ先に家に居る母と娘を迎えに行き安全な場所に避難する事が出来ました。 その日の夜にかなりの覚悟を決めて家の様子を見に行くと家の脇の道路が浸水し、立ち入り禁止。翌日海水が引き家までたどり着く事ができました。途中、津波で流されて来た車が何台かありました。家は外壁が壊れたり、サッシが閉まらなくなったりしましたが、倒壊は免れました。玄関に津波の跡が残っていました。幸いにも津波が玄関の5㎝下で止まり、難を逃れました。海岸沿いの家は津波で1階部分が打ち抜かれ骨組みだけになっていました。断水は3月下旬まで続きました。 子供の頃から見慣れた美しい海岸線の風景がすっかり変わってしまいました。自然の怖さを目の当たりにしました。その海も今は穏やかに波が打ち寄せていることでしょう。

避難者の声」への1件のフィードバック

  1. 福島市に住んでいる娘家族が12月末に沖縄に避難しました。自然豊かな福島でしたが、外遊びができず、今後、どれだけの年数を屋内のみで育てることになるのだろうか?子ども時代の成長になによりも大切なことは何だろうか?と考えます。今、沖縄のお友だちと毎日の様にサッカーチームに入れてもらい、海で遊び、ガジュマルの木に癒される写真をみるにつけ、ここには暖かい人々、すばらしい自然があり、福島を離れてよかった、と思います。孫達の思い出のつまった新築の家は、来週から人にかせることになりました。今、私達、ジイジ、バアバの願いはときおり、会いに行きたいことです。願いは福島空港から沖縄空港までの直行便が復活してくれたら、どんなにいいか・・・

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